読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

信じる気持ち、信念の良さと悪さ

 

この世界で共通する教えの中に「信念」という言葉があります。信念ときくと強くて難しいとイメージがある方と、逆に簡単、容易いと思う方と両方がいると思います。

 

信念は良い教えの一つですから否定をするつもりもありませんが、

本当に信じること自体がそんなに正しいのでしょうか?

 

軍隊の教えは全て共通ではありませんが、ある軍隊の教えにこんな言葉があります。

「信じるよりも、信じさせろ!」

そしてそういう業界の人間は信じるという行為を軽視しています。

信じればいずれ、やられてしまう可能性があるからです。

 

でも我々は軍隊の人間ではないのだから大丈夫であろう・・

と安心しきっている方が多いと思います。

 

しかし、現に目に見えない状態で我々は壊されています。

 

やられる、というのは2種類あります。

 

まず一つ目は、実際に身体を傷つけられることのやられる、と

 

あとは食べ物に薄めた毒をいれられ徐々に極端に目で見えない形で壊されていくといったようなやられかたです。

 

今、毒を食べ物に入れるという例を出しましたが、必ずしもこれだけとは限りません。あくまで例の一つです。

数え切れない量のやり方があります。

 

軍隊や戦争、喧嘩という業界では極端な戦いを意味しますが、

 

我々の普通のこの業界の戦いは極端ではないからこそもっと怖いんです。

 

例えば、現在この世界で身体に悪いお菓子や多量に砂糖が入ってる飲み物など数え切れないほどあります。

こうゆったものも目に見えないやりかたで我々を壊しているんです。

 

最終的に言いたいのは信じればうまくいく、とゆったような世の中ではなくなってしまったということです。

 

逆に信じるということで救われた人について聞いたことがありますか?

 

一番良い信じかたの一つはこれです。

 

確かに信じたいし信念を持ちたいですが、ある部分を疑い信じてはならない部分がある、ということを理解した上で信じることです。

 

そのある部分を疑うことにより、自分の信じていたい内容への気持ちが自分の精神にモチベーションをあげさせて、自分がその信じから得たいものを実際に自分がそれを作り上げて現実化させる、ということが大事なんです。

 

 

信念は確かに大事ですが、ある部分で疑いの面を持たなくてはいけないということです。

 

信じてばかりいれば人はたるみます。

 

自分で信じていたい内容を自らがそれを現実化させるという気持ちで動かなけれはなりません。

 

 

信念を持ちながら、動くということが信念を一番良い形で育てられるということだと思います。